歴史

アジア地区に拠点を求めていたヒルトンホテルズ・インターナショナルと、ホテル事業を全国展開するために国際的なホテルのノウハウを求めた東京急行電鉄の思惑が一致し、1958年(昭和33年)7月21日に両者の合弁会社として、東京ヒルトンホテル株式会社が設立され、1963年(昭和38年)6月20日に、日本初の外資系ホテル東京ヒルトンホテルが開業した。ホテルの規模は、地上10階建、客室数約450室であった。 ホテルが建てられた小高い丘は、古くは、星がよく見えたことから星が丘と呼ばれており、1883年(明治16年)には、岩倉具視の援助で料亭「星岡茶寮」が開かれた。この料亭は、関東大震災後に北大路魯山人によって借り受けられ、1925年(大正14年)3月20日に美食倶楽部の会員制料亭となったが、戦災で焼失。1956年(昭和31年)に東急グループが一帯の土地を購入し「星ヶ岡茶寮」を開業していた。 東京ヒルトンホテルは、当時の日本には数少ない国際的なホテルであり、また、首相官邸や国会議事堂などに至近であることから、外国要人や芸能人などに利用された。 1966年(昭和41年)6~7月の来日時にビートルズがこのホテルの最上階(10階)にあるプレジデンシャル・スイートに宿泊したほか、このホテルに宿泊した有名人は、ティナ・ターナー、ツイッギー、ソフィア・ローレン、ショーン・コネリー(『007は二度死ぬ』の撮影時)、エリック・クラプトン、マイケル・ジャクソン、デビッド・ボウイ、ビル・クリントン元米国大統領(米国商工会議所主催の朝食会に出席、宿泊はしていない)など、枚挙にいとまがない。 また和洋折衷ともいうべき独特の佇まいから日本国内外問わず同ホテルは熱烈な愛好者も多く存在した。この点を証明する事例として、前出のデビッド・ボウイは来日した際、当初滞在先であったパークハイアット東京に到着するなり「ここではなく、以前泊まった神社の近くのホテルがいい」と宿泊拒否したため、急遽キャピトル東急ホテルに変更したことが象徴的であろう。またエリック・クラプトンの日本の滞在時の常宿でもあった。 しかし、ヒルトンホテルズと東急との提携の契約期間は開業後20年と定められており、契約更新は行われなかった。このため、1984年(昭和59年)1月1日からは、キャピトル東急ホテルと改称し、東急ホテルチェーンのフラッグシップ・ホテルとして運営された。 一方、ヒルトン側は、新たに西新宿にホテルを建設し、1984年(昭和59年)9月1日に東京ヒルトンインターナショナルとして開業した。 その後、キャピトル東急ホテルは、老朽化のため、2006年(平成18年)11月30日正午をもって営業を終了。現在、ホテルの建物は取り壊されており、同地には2010年(平成22年)に東急ホテルのフラッグシップ・ホテル「ザ・キャピトルホテル東急」を核とした地上29階建の複合ビルが開業する予定である。

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施設

所在地:東京都港区虎ノ門二丁目10番4号 このホテルは、大倉喜八郎の長男で大倉財閥の二代目である大倉喜七郎によって設立された。公職追放により帝国ホテルを離れた大倉は、憲法の制定により華族としての待遇も奪われる。しかし、国内屈指の工芸家たちへ日本の美を以って諸外国の貴賓を迎えるホテルの理念を熱心に説き、その協力を得てホテルオークラを開業させた。明治以降の日本に存在したであろう貴族の精神を証明するという野心と「最後の男爵」としての意地により設立されたホテルである。

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